公演ノート 旅するオペラ

シンプルな物語に潜む複雑さ 演出と音楽とのはざまで プッチーニ《蝶々夫人》東京文化会館

2024年7月21日(日)14:00開演 東京文化会館
プッチーニ 《蝶々夫人》

  指揮:ダン・エッティンガー   
  演出:宮本亞門   

  蝶々夫人:高橋絵理   
  スズキ:小泉詠子   
  ピンカートン:古橋郷平   
  シャープレス:与那城敬   
  ゴロー:升島唯博   
  ケート:石野真帆   
  ヤマドリ:小林由樹   
  ボンゾ:三戸大久   
  演奏:東京フィルハーモニー交響楽団 

※同日に「旅するオペラ」も実施

7月21日(日)真夏日の上野、東京文化会館にてオペラ《蝶々夫人》を鑑賞した。

本題に入る前に、いきなり話が脱線するが、この日は午前中に某所で事前講座を行い、そこから会場までの移動はタクシーでの予定であった。ところが、タクシーの配車アプリで大型タクシーを手配できたにも関わらず、5分、10分待てども保留状態が解消されなかった。これはまずい、と流しのタクシーを探そうと地上に出たが、最近のあるあるでそう簡単には空車タクシーが見つからない。再び配車アプリでどうにか小型タクシー2台を確保し、会場に向かった。到着したのは開演の20分前。1人での鑑賞なら開演20分前はそれほど慌てないが、お客様が一緒のときは話は別である。海外の音楽ツアーでもこういうヒヤヒヤがしばしば起こる。ホテルから劇場までのバスが時間通りに来ない、タクシーがつかまらない、道路渋滞にハマる、などなど。お客様にも慌ただしい思いをさせてしまったことが申し訳なく、次回からは時間に余裕がないときの大型タクシー手配はやめたほうがよいと反省した。何よりも、私が第1幕前半に集中できなかったのが一番悔やまれる。

さて、今回の二期会《蝶々夫人》の宮本亞門演出は、2019年の映像を事前に観ていたので大方は把握していた。二期会主催では2022年の栗山昌良演出の《蝶々夫人》を観て以来の《蝶々夫人》である。栗山昌良の演出は、同じ時期に兵庫芸文で開催中の佐渡裕オペラ《蝶々夫人》の原演出にもなっている。
今回の鑑賞に備えて、今年の春頃からゼッフィレッリ、ジャン・ピエール・ポネル、ステファノ・モンティ、それから浅利慶太の映像を観ておさらいをした。さらに、直近ではアンソニー・ミンゲラの演出で、クルザックの蝶々夫人をMET(ライブ)で、グリゴリアンの蝶々夫人はMETライブビューイングの映像で観ていたので、この4ヶ月ほどは超どっぷりとこの作品に浸かっていたことになる。

《蝶々夫人》のストーリーはとてもシンプルだ。そのため、演出が非常に重要とも言える。過度な演出はストーリーのシンプルさ、もっと突っ込んで表現するならストーリーの純粋さを壊す危険をはらむ。宮本演出は私にはいささか騒がしく感じ、ときに音楽が邪魔されてしまう。浅利慶太のような超オーソドックス(日本人には一番しっくりくる?)な演出とまではいかなくとも、栗山昌良演出のように視覚的にはビビッドな描き方はしつつも、ストーリーには忠実な演出なのであまりハラハラせずに観れるほうが好みだ。ミンゲラの演出は文楽から着想を得た「人形」が子どもとして登場し、この人形が気持ち悪いという意見もあるようだが、ストーリーに手を加えたものではない。宮本演出は、演出上、重要人物である青年(息子)が冒頭から登場させることでストーリーの統一感を創造するのだが、私にはどうしても音楽に没入できず、気が散ってしまうのだ。ただし、これは「演出」の良し悪しではない点については誤解のないように。(実際、鑑賞後の感想会では、参加者数名から冒頭のシーンが最後にまさかあのように伏線となり回収された点について意外だった、鳥肌が立った、という意見が出たのだから…)

歌手たちは全体的にまとまりがあったものの、特に抜きんでてきらりと輝く星がいたという印象はなかった。タイトルロールの高橋絵理さんは健闘していたものの、直近でMETライブビューイングでグリゴリアンの蝶々夫人を聴いてしまっていたため、当分それを超える蝶々さんには出逢えないだろうと思っていたし、グリゴリアンのように役に憑依する演技力や声量、テクニックを求めるのはナンセンスである。

全体を通してもっとも印象的だったのは、高橋さんが他のキャストとの調和が取れていた点である。「彗星」のような蝶々さんの方が派手に聴こえるし観ていても面白いが、それはそれで周りの登場人物を時に圧倒し押しのけてしまいバランスが悪くなることもある。高橋さんの場合、特に第2幕後半以降に調子が上がってきたように感じた。シャープレスとの手紙のやりとりから、正座してまっすぐ前を見つめながら第3幕へ、止まることなく最後の子どもとの別れまで、やり切った演じきった充足感を覚える蝶々さんだった。シャープレス、ピンカートン、スズキも全体的に控えめなパフォーマンスで、派手さはなかったものの、それぞれが物語の一部としてしっかり機能していたように思う。それゆえ、全体的に調和が取れた演奏だったように感じた。
 
指揮はダン・エッティンガー。東京フィルとの演奏は情熱的でアグレッシブなものであり、第3幕後半にはまるで火花を散らすような演奏に心躍る瞬間もあった。しかし、歌手たちの声がオーケストラに埋もれてしまう場面が少なくなかったように感じた。オーケストラが少し張り切りすぎた印象もある。

今回の東京二期会の「蝶々夫人」公演は、様々な意味で印象深いものだった。演出、歌手たちのパフォーマンス、そしてオーケストラのバランスについて、改めて考えさせられる機会となった。シンプルなストーリー(物語)に潜む複雑さとでも言えば良いのだろうか… オペラの奥深さを再認識しつつ、次の《蝶々夫人》を楽しみにしたい。

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