今年一番泣かされた小説、になるかもしれない。
もともとは、東京にあるゴッホの《ひまわり》の話と名画を予習するということ
この記事がきっかけでこの作品と出逢った。
従来から抱いていたフィンセント・ファン・ゴッホの人物像そのものがこの作品によって大きく変化することは無かったが(アルルでのゴーギャンとの関係や、耳を切り落とした事件などは一般教養の範疇だと思っているので)彼の実在した弟、テオドルス・ファン・ゴッホについては殆ど知らなかった。
この作品ではこの2人の兄弟と、パリで活躍した日本人美術商、林忠正と加納重吉との交流を描きながら、パリの美術界を席巻した浮世絵に代表されるジャポニズムがゴッホ兄弟に与えた影響と、その後の兄弟の苦悩が描かれる。
林忠正もフィンセントやテオドルスと同様、実在した人物で、実際に明治時代にパリを中心に日本の美術を広め活躍した人物として知られている。一方の加納重吉は架空の人物だが、ゴッホ兄弟と林忠正を繋いだ人物として重要な役割を担っており、この作品の語り手の一人だ。(実際に林忠正とゴッホ兄弟が出会った、という資料や文献などは残されてはいないが、フィンセントと浮世絵の関係性を考えればひょっとしたら彼ら2人がどこかで出逢っていた可能性は十分ありうる。林忠正もフィンセントもともに1853年生まれ。これも不思議な縁を感じずにはいられない)
物語の前半は加納重吉とテオドルスの2人によって交互に語られていくが、フィンセントにその光が当たるのはだいぶあとになってからで、日本という極東の国からやってきた林や加納がパリの美術界に溶け込んでいくまでの苦労や、当時のパリ美術界においてはゴッホより以前にのちに印象派と呼ばれる画家たちの芸術運動を取り巻く状況などが淡々と語られていく。
やがて兄弟の運命の歯車は物語の後半に向けて加速し複雑に重なり合う。
当時のパリにおける日本人への差別偏見と浮世絵という新たな美への慟哭の間で揺れ動く芸術家や画商たちの感情、フィンセントという稀有なる才能を見出した弟テオドルスがその複雑な感情の中で一歩二歩と日本の美へ近づき、次第にその美の中でフィンセントの才能を確信し支え続け開花させたこと。
日本への憧憬からアルルへのいざない。ゴーギャンとの暮らしから見えるゴッホの孤独。その孤独は弟テオドルスの生活にも暗い影を落とす。フィンセントの世界観はあまりに孤独過ぎたがために、弟は自らの幸せな生活の中で兄と距離を置いた結果招いた、救いのない結末。
そう、この物語の結末は端から分かっていたし、史実でも知られていることなのに、徐々に死の匂いがしてくるのを感じさせて読み手を追い詰めていくのだ。
あまりにも救われない兄弟の物語に対してどう向き合えばよいのだろう?… とそんなことを考えてしまった。
できるだけ多くのゴッホの作品に触れて観て感じることができれば、兄弟や2人の日本人の想いに応えられるのだろうか? いや、個人的には、ゴッホという画家としては苦手ではないけれどもその作品からカタルシスを感じることは期待できそうにない。これは画家と自分との相性のようなものだと思う。
この作品における唯一の救いは、パリという街がとても美しく描かれている点。ゴッホも生涯パリに想いを馳せていたように、パリには不思議な魅力があり何世紀にもわたり住む人だけでなく旅人を虜にしてきた。
少しだけ薄汚れた暗さの中に仄かに薫る歴史の闇。にも関わらずどこから切り取って眺めてもやはり美しい街であることにはかわりはなく、芸術の深遠さとともに在り続けてきた人々を惹きつける力は昔から変わらない。
もうかれこれ5年ほど訪れていないが、コロナ終息後には、せめて2,3日かけて、将来的にはひと月ほどかけてゆっくりと滞在したいものだ。
私のおすすめは、ポンヌフ橋から眺めるセーヌ川、オペラ座ガルニエ。たとえ半日だけでもパリに立ち寄れるのなら、この2か所には再訪したい。ポンヌフは映画から知り、ガルニエはいわずとしれた《オペラ座の怪人》の舞台であり、ヨーロッパ最高峰の歌劇場のひとつ。
作品のタイトル「たゆたえども沈まず」とは
”どんな時であれ、何度でも。流れに逆らわず、激流に身を委ね、決して沈まず、やがて立ち上がる”
を意味する、パリの標語でもある。 その堂々たる佇まいは生涯をかけて何度でも訪れたいと思わせるのだ。