東京二期会のヴェルディ《運命の力》を、新国立劇場で鑑賞
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この作品、一言でいえばやっぱり難しい。
レオノーラ、アルヴァーロ、カルロという3人の愛、名誉、復讐といった極めて個人的なドラマがある一方で、その周囲では戦争が起こり、民衆が騒ぎ、宗教や祈り、赦しというもう一つの世界が広がっている。
ヴェルディが敬愛したシェイクスピア劇を彷彿とさせる物語運び。悲劇と喜劇が入り交じる人間劇。
いわば「個人のドラマ」と「社会のドラマ」が並行して進んでいく作品。
この二つの軸をどう結びつけるのか。そこが《運命の力》という作品の面白さでもあり、同時に難しさでもある。そして、その複雑さを舞台上でどう見せるのかは、演出家にとっても難しいところだと思う。(過去に海外でも何度か観たことがあるが、いずれも演出が難解過ぎて消化不良…)
今回のデヴィッド・パウントニーの演出は、その複雑な作品をかなり分かりやすく見せていたし、やはり日本語字幕があるのと無いのとでは、理解の深まり方がまったく違う。
序曲から舞台上に現れる「銃」「弾丸」のイメージ。アルヴァーロの銃から始まる悲劇、壁に飛び散る父の血。そしてカラトラーヴァ侯爵と、後にレオノーラを受け入れるグァルディアーノ神父を同じ歌手が演じるという設定。
そこには《運命の力》という一作品だけではなく、ヴェルディが繰り返し描いてきた「父と娘」というテーマの残像まで感じられた。
運命の動機に合わせて大きな杖を上下させる「運命の女」の存在などは、この演出のオリジナルであるが、個人的には音楽に集中したいときにコツコツと舞台から音が重なるのは、やや煩わしく感じた。
そして今回、特に楽しみにしていたのが、大村博美さんのレオノーラと樋口達哉さんのアルヴァーロ。
まず大村さん。
レオノーラは、単にドラマティックな声量があれば歌える役ではない。祈りの場面では長いレガートと静かな弱音が必要になる一方で、オーケストラが大きく鳴る場面では声を前に押し出す強さも求められる。リリックな繊細さとスピント的な強さの両方が必要な、ヴェルディ・ソプラノでも難役のひとつだと思う。
大村さんはその振幅をとても自然に聴かせつつ、特に後半になるにつれて声と役がさらに深く結びついていくように感じられた。滑らかなレガート、丁寧に作られたフレーズ、そしてフォルテからピアニッシモへ移ったときにも声の芯が失われない。
第4幕の「Pace, pace, mio Dio!(神よ、平安を与えたまえ)」では、単に大きく劇的に歌うのではなく、レオノーラが長い逃亡と孤独の末にたどり着いた「祈り」がきちんと聞こえてくる。弱音が単なる小さな声ではなく、内面へ向かっていく表現として機能していたのが印象的だった。
一方の樋口さんのアルヴァーロ。
これも非常に難しい役だが、英雄的な強さだけで押してしまうとアルヴァーロという人物の脆さが消えてしまうし、逆にリリカルに寄りすぎるとヴェルディの大きなオーケストラを突き抜ける力が足りなくなる。
樋口さんには、その両方があった。
基本にあるのは明るく伸びやかなリリックな声。その声で長い旋律をきれいなレガートで運びながら、必要なところではしっかりとスピントをかけて声を前へ出してくる。(特に、第4幕のカルロとの決闘シーンは、アルヴァーロの感情がもっとも前面に出る、金属的な響きさえ要求される)
特にアルヴァーロという人物には、愛する女性を失った悲しみ、出生への苦悩、友情、そしてカルロとの対立まで、かなり幅広い感情があるが、その変化を声の強さだけでなく、フレージングや声の色合いによって聴かせていたのがよかった。
今井俊輔さんのドン・カルロ、加藤のぞみさんのプレツィオジッラも、それぞれ役柄にうまくはまっていた。
そして印象に残ったのが八嶋恵利奈さんの指揮。
リッカルド・ムーティのもとで研鑽を積んだ指揮者ですが、なるほどと思わせるパッショナブルさがありながら、決して勢いだけではない。東京フィルを丁寧にコントロールしながら、かなり精緻に音楽を組み立てている印象だった。
今回が日本でのオペラ指揮デビューとのこと。これから日本でもぜひ聴いてみたい指揮者だ。
そして何より、国内では上演機会の決して多くない《運命の力》を、こうしてまとまった形で観ることができたのが嬉しい。
名作は継続的に上演しながら、その中に日本ではなかなか出会えない作品や意欲的なプロダクションを入れてくる。こういうラインナップを、これからも期待したいと思う。
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