公演ノート

フレンチサウンドに溢れたひととき クラウス・マケラ指揮&パリ管弦楽団 東京芸術劇場

マケラ&パリ管弦楽団

クラウス・マケラ指揮 & パリ管弦楽団 2022来日公演 東京芸術劇場
2022年10月15日 [土] 16:00開演
指揮:クラウス・マケラ
演奏:パリ管弦楽団

《曲目》
ドビュッシー:交響詩《海》
ラヴェル:ボレロ
ストラヴィンスキー:春の祭典

フランスという国と密接に結ばれる魅力あふれるこの3つの作品を、パリ管弦楽団のサウンドで聴けるという夢のようなプログラム。

指揮はクラウス・マケラ。
飛ぶ鳥を落とす勢いの活躍を見せるフィンランド出身の26歳だ。

2020年にオスロ・フィルの首席指揮者に就任した翌年にはパリ管弦楽団の音楽監督に着任、つい先頃はあのガッティ以降空席となっていたロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者に2027年より就任すると発表されたというから注目されないはずがない。

プログラムノートによれば2020年の6月からマケラとパリ管との関係はスタート。当時は24歳。2シーズンわたってアーティスティック・アドバイザーを務め、その後音楽監督に就任したとあるので、この両者の組み合わせから生まれるサウンドにも期待が高まる。

パリ管弦楽団のメンバーはとにかく個性的。まさに個人主義の集団のよう。
ステージに座る様子ひとつを取っても、楽器の持ち方ひとつ取っても、各人さまざま。楽器で演奏しないときにはキョロキョロしている奏者もいれば、ニコニコ微笑んでいる奏者も…。前半が終わり、後半が始まる休憩後に全員が着席した…と思った矢先に、ヴァイオリンの最後列の女性が遅れて登場し着席。直後に管楽器(パート失念)にも男性奏者が遅れて登場。これが彼らには普通? これはたまたまの巡り合わせだとは思うが。

最も印象的だったのは、あの「ちょっとでも緊張の糸が切れたらアウト」な《ボレロ》の演奏のときのこと。
開始から4〜5分ぐらいの間、ふつうのオケなら誰もが緊張の面持ちで自分の出番を待つその間に、ある奏者は足を組み自分の世界に入り込み、ある奏者はなんと隣の奏者に小声で話しかける。ほかにもあまりの自由奔放さに驚きと笑いの連続であったが、これが彼らのスタイルなのだと妙に納得してしまった。

ドビュッシーも、ラヴェルも、ストラヴィンスキーも、精緻で正確、一糸乱れぬ演奏とはいいがたい、一聴するとバラバラな個性の集合体なのだが、そこから生まれる音色はまるで宝石箱のよう。ひとつひとつの音はキラキラとした宝石のような輝きを放ち、やがてそれらは積み上げられ、巨大なオブジェのようになる。そうした自己主張とともに、フレンチサウンドとはこういうものだと、一流オーケストラのプライドをもって迫ってくる。改めてこのユニークさがパリ管の魅力なのだろう。

そのあたりを若干26歳で心得てしまっているマケラこそ「異次元の逸材」だと思うのだが、メンバー達への徹底したリスペクトを以てバラバラに散った宝石(個性)を尊重しつつも、新しい世界をもたらし名門オーケストラから嘱望される「Z世代」指揮者の新しいスタイルを感じずにはいられない。

ドビュッシー《海》
Aプロ、Bプロと共通するのはこの作品のみ。
得意なレパートリーのひとつなのかもしれない。柔らかさと繊細な音色の中に成熟した感性が伺える。

ラヴェル《ボレロ》
遅すぎず、速すぎない中庸のテンポ感。精緻さよりも個性がぶつかり合うような奔放なサウンドは、これまで聴いたどのオーケストラとも違う。調和より主張、感性の煌めきが印象的。
ところが、後半。とくに239小節目以降の一体感は前半の印象とは打って変わり、調和と主張が見事なアンサンブルとなる。フィナーレが近づくにつれて、あともう一回、あともう一回聴きたい…と叶わぬ願いを呟いたのは、きっと私だけではないはず。

ストラヴィンスキー《春の祭典》
オケ総動員。奏者だれもが主役になれるせいか個性がぶつかり合ってもさほど影響が少ないのかもしれない。演奏自体はとても素晴らしかったものの、前の2作品に比較するとパリ管のベテラン奏者に支えられている感がわずかながらに感じた。個人的には、この指揮者泣かせと言われる難曲を5年後、10年後、さらに成長したマケラがどんなふうに指揮をするのか、そんな期待を覚えながら聴き終えた。

コンサートは、このあと東京で2回、大阪、名古屋、岡山と続く。

来日オケの中でも値段はやや高めであるけれども、円安に物価高、人件費増。欧州のオケを招聘するには致し方ない。

公式サイトはこちら
https://avex.jp/classics/odp2022/

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