公演ノート

実力派キャスト揃いの注目公演 ドビュッシー《ペレアスとメリザンド》新制作 新国立劇場

ドビュッシー《ペレアスとメリザンド》新制作 新国立劇場

新国立劇場 2021/2022シーズンのファイナルを飾る新制作《ペレアスとメリザンド》
芸術監督、大野和士の指揮とリヒターやナウリなどの実力派キャストを揃えた注目公演。

注目される理由のひとつがケイティ・ミッチェルの演出だ。初日鑑賞後もSNSでも賛否いろいろな声が飛び交う。一度観ただけでは理解は困難という声、読み替えの深読みが面白い(またはその逆)という声や、そもそも舞台付きで日本で観れるだけでも嬉しい、という声など様々。

私はといえば、メリザンドのリアルで生々しい「女」の描写が強烈に印象に残った。ペレアスやゴローを夢中にさせるメリザンドの描写はつかみどころのない「女性」というより「女」が強調されていたように思うし、それは義父のアルケルを惑わすあたりにも滲み出ていた。
また、話の前半は、メリザンドが服を一方的に脱がされるシーンが続いていたが、後半にはそれも変化する。とりわけ第4幕の見せ場では、自ら服を脱ぎペレアスに近づき愛を告白する。様々な意見があろう中で、私はドビュッシーの女性に対する価値観をケイティ・ミッチェルはうまく捉えていたのでは、と肯定的に受けとめている。

ところで、私とドビュッシーとの最初の出逢いは12歳のとき。《ピアノのために》Pour le Pianoという曲を、ピアノ発表会で先輩が弾いたのがきっかけだった。
バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ショパン…と、バロックから古典派、古典派からロマン派音楽となぞりながらピアノを学んでいく過程のなかで、初めて「印象主義音楽」という存在を知った日でもあった。

1曲目のプレリュードの冒頭部分のリズムそして中間部で登場するグリサンド奏法に度肝を抜かれ、エキゾチックで神々しさも感じる2曲目のサラバンドには未知の世界の扉を開いてしまったかのようなとても高揚した気分になったのを今でも鮮明に覚えている。

Mikhail Pletnev plays Debussy - Pour le Piano (Moscow, 1987)

ドビュッシーはこの印象主義音楽を最初に始めた作曲家として知られているが、バロック音楽以降ロマン派音楽まで維持されてきた調性やリズムの観念を崩壊させたことから近代音楽の始まりとも言われている。

ロマン派音楽と印象主義音楽の違いは、絵画で比較するととてもわかり易い。
ショパンやシューマン、ブラームスなどに代表されるロマン派音楽は、創造性のある題材やテーマを基本に据えながら旋律や和声と転調によって物語性のある描写や感情表現を特徴としていた。ロマン派絵画の代表的な画家であるドラクロワの作品にその特徴が見られる。

ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」

1830年のドラクロワの代表作「民衆を導く自由の女神」はフランスのロマン派絵画の代表作

一方の印象主義音楽はといえば、この《ピアノのために》でも譜面上に調性は明示されているものの、曲の進行とともに短調と長調が重なり合い交わり、旋律も全音音階や半音階が混在し、音と音との響きの空間がペダリングによって膨れ上がる。そして東洋的なエキゾチックな響きも全体に漂う。この東洋的というのはドビュッシーのほかの作品にも多くみられるが、パリ万博におけるジャポニズムの熱狂の影響を受けている。雰囲気や感情・気持ちの動きは、より主観が排され外界の印象や微妙な雰囲気を感覚的に捉えられ、例えばドビュッシーと同時代に活躍したモネ「日傘をさす女」の女性の顔は輪郭もぼやけておりその表情ははっきりと見えない。光や影の境界線も曖昧になりその印象まで感覚的に表現されているようだ。

モネ「日傘をさす女」

モネ「日傘をさす女」(1886年)

《ペレアスとメリザンド》を舞台付きで初めて観たのは2018年のベルリン国立歌劇場で、バレンボイムの指揮、ロランド・ヴィラゾンがペレアスを、メリザンドをマリアンヌ・クレバッサ、ゴローはミヒャエル・フォレが演じた。たまたま出張でベルリンに訪れていたので当日券を買って聴いたのだが、日本語の字幕も当然なく、時差ボケと難解な演出で辛かった記憶しかない。しかしキャストは素晴らしかったし、当時のドイツ首相メルケル夫妻が聴きに来ていたことからも注目公演だったことは間違いなかったのだろう。

それまではピアノ曲やオーケストラのための管弦楽曲を好んで聴いていた。交響詩《海》や前述の《ピアノのために》や《ベルガマスク組曲》《前奏曲集》などが特に気に入っていて、純粋で清らかなイメージと色彩感溢れる東洋的な響きと調性の揺らぎが心地よく、ドビュッシーの人となりなどには全く関心を向けずに夢中になっていたものだ。後年になってとんでもなく女にだらしないと知って軽く衝撃を受けたのだが、それでもあの色彩感溢れる音楽には唸るしかない。

メーテルリンクの原作に着想を得ておよそ8年かけて作曲された《ペレアスとメリザンド》はドビュッシーの唯一のオペラであり代表作ではあるが、彼の代名詞でもある印象主義音楽よりも象徴主義に近い作品とも言われており、改めて今回じっくりと聴く機会を得てナルホドとても腑に落ちた。ここで描かれる男女の音楽描写にはまさにドビュッシーの人生と人間に対する価値観が投影されており、管弦楽曲やピアノ曲とはまた違う、強いメッセージ性、ロマン派ではないのに時に非常に情緒的にドラマティックに感じる音楽は、ドビュッシーとオペラの組み合わせだから成り立つのかもしれない。

【象徴主義】(デジタル大辞泉:小学館)
《〈フランス〉symbolisme》自然主義や高踏派の客観的表現に対し、内面的な世界を象徴的に表現しようとする芸術思潮。19世紀末、フランスに興った象徴派の詩を始まりとする。

今作でも黙役を通して人間の内面を投影し、感情の迸りを動きに加えた演出と舞台はとても象徴的で一度観ただけでは理解しきれないが、何度でも月の光、太陽の光、照明の美しさが印象的。歌手もオケも期待を裏切らない、官能的な音楽に満たされた。

ゴロー役のロラン・ナウリは、あのカリスマ性高い美貌をもつソプラノ歌手ナタリー・デセイの夫。デセイはもうオペラからは引退してしまったのが惜しまれるが、夫婦での共演で見てみたかった。(2009年のアン・デア・ウィーン劇場で共演している)


公演は全部で5日間。7月17日(日)が最終日

とのこと。

2022年7月2日(土)14時開演(新国立劇場 オペラパレス)
ドビュッシー《ペレアスとメリザンド》新制作

指揮:大野和士  演出:ケイティ・ミッチェル
演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
出演:ベルナール・リヒター(ペレアス)カレン・ヴルシュ(メリザンド)
ロラン・ナウリ(ゴロー)妻屋秀和(アルケル)浜田理恵(ジュヌヴィエーヴ)
九嶋香奈枝(イニョルド)ほか

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